【対戦ゲーム】定期的に沸く"強い=偉いじゃない論" 実は答えはもう出てます

学校は学習を行うコミュニティなので勉強ができる人が評価され発言力を獲得するし、企業は利益を作り出す集団なので利益を出してきた人が評価され肩書や報酬とともに影響力を発揮します。ほとんどの場合対戦ゲームは、対戦の強さを競うものです。対戦とは自身の研究と研鑽、哲学のぶつけ合いであり、勝利を重ねれば重ねるほどその人の発言に説得力が増してきます。

 

過去から現在まであらゆる対戦ゲームで、定期的に”強い=偉いじゃないよね”議論が勃発します。一応環境的な話をすると、こういう議論で的にされているプレイヤーはほとんどの場合、強いのを鼻にかけてリアル人生で得られない分の承認欲求をゲームコミュニティで満たそうとするちょっと痛い人です。それはさておき、強さを競う場で強い人は自然と影響力と発言権を獲得するわけで、影響力と発言権を持ってるのに偉いではないとは何を言ってんだとなった人も多いんじゃないでしょうか。

 

実はこれ、"強い=偉いじゃないよね論"を提唱する人が若干頭が弱く日本語の使い方がおかしいだけなのです。"偉い"とは、そのコミュニティの目的を多く達成した人が影響力と発言権を獲得している状態であり、そこから派生して生まれた不遜が許される(と思っている)というニュアンスの"偉そう"と混同しているだけなのです。

 

まとめると、対戦ゲームは強さを求めるコミュニティなので、プレイヤーが強ければ本人にその気がなくてもコミュニティ内では"強い=偉い"に該当してしまうし、"強い=偉いじゃない論" は提唱者が偉いと偉そうを混同しているだけで賛同者反対者ともに言ってることは実は同じな迷惑な議論なのです。